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「旅」にまつわるアレコレを30代サラリーマンが綴ります。

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【読書】植村直己「青春を山に賭けて」/初めて知った、偉大な業績

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日本人探検家といわれて、まず「植村直己」の名前を思い浮かべる方は多いのではないかと思います。今回は彼の1冊目の著書をご紹介します。

 

 

今回ご紹介するのは、植村直己著「青春を山に賭けて」(文春ウェブ文庫)です。

日本人として初めてエベレストに登頂し、世界で初めて五大陸最高峰制覇・北極点単独到達を果たした植村は、1984年冬のマッキンリー単独登頂後に消息を絶ちました。

本書は、その功績によって国民栄誉賞も受賞した探検家・植村直己による1冊目の著書で、初版は1971年に毎日新聞社より発刊されています。

私は「植村直己」という人がいたことはもちろん知っていましたが、今まで著書を読んだことはありませんでした。

 

今回初めて彼の著書に触れたわけですが、そこには先日購入したkindle paper whiteが関係しています。

www.wanderer-blog.com

 

kindle本は“日替わりセール”と称して毎日3冊がセール販売されています。

お手頃価格で購入ができるので定期的にチェックしているのですが、ある日植村直己の「エベレストを越えて」という本がセール対象になっているのを発見しました。

 

早速購入した私が、折角ならその前にまず著書を最初から、と思って購入したのがこの「青春を山に賭けて」です。

(なんでも順序を踏みたい性格なので……)

 

植村直己の名前を聞いたことはあったものの、これまでその輝かしい功績を知らなかった私。

探検家・冒険家、北極探検というイメージが強かったものの、この本で登山家としての植村直己を知ることとなりました。

 

世界初の五大陸最高峰制覇者

本書で綴られているのは、彼がいかにして登山を始めたかと、大学卒業後に世界中を駆け巡り、世界初となる五大陸最高峰制覇を成し遂げるまでの道のりです。

 

ちなみに、五大陸最高峰とは以下の山々です。

  • モン・ブラン ヨーロッパ 4,807m
  • キリマンジャロ アフリカ 5,895m
  • アコンカグア 南アメリカ 6,960m
  • エベレスト アジア 8,848m
  • マッキンリー(現在のデナリ) 北アメリカ 6,191m

 ※植村の登頂順

※現在のヨーロッパ最高峰はロシア(当時ソビエト連邦)のエルブルス山とすることも多いようです

 

今でこそ、上記リストにオーストラリア、南極最高峰を加えた「七大陸最高峰制覇」というのは珍しくない(わけではないけど、メディアでは頻繁にみる)話しですが、世界で初めて五大陸最高峰を制覇したのが、植村直己だということは恥ずかしながら初めて知りました。

 

山岳部への入部~世界の山々を夢見て

兵庫県の農家に生まれた植村は、明治大学の山岳部に入部します。

そこでは新歓合宿でいきなり春の白馬三山に連れていかれるというのだから、読んでてビックリしました。

在学中は山に明け暮れ、世界の山々を夢見た彼は、卒業後、まずはアメリカでアルバイトをしてヨーロッパでの滞在費を稼ぐことにします。

生活水準の高いアメリカで高い賃金をかせぎ、パンとキュウリを食べて支出を減らせば、ヨーロッパ・アルプス山行の金がたまるのではないかということだった。ヨーロッパ山行まで、何年かかるかしれないが、とにかく日本を出ることだ。英語ができない、フランス語ができないなどといっていたら、一生外国など行けないのだ。男は、一度は体をはって冒険をやるべきだ。

 

その後、カリフォルニアの農場で働くも移民調査官に捕らわれ、辛くも送還を逃れる、という破天荒な経験をしながら、ヨーロッパに向かった彼ですが……

単独登攀を目指したモン・ブランで、クレバスに転落します。アイゼンのツメが氷壁にひっかかったおかげで、なんとか九死に一生をえましたが、植村は初めての挑戦は失敗に終わります。

 

フランスのスキー場で仕事を見つけた彼は、その後明治大学山岳部のヒマラヤ遠征隊に参加し、未踏峰であったゴジュンバ・カンに登頂。

フランスへの帰路は節約のため、カトマンズから陸路でボンベイ、そこから船でマルセイユまで向かい、そこからヒッチハイクで職場に戻ります。

その経路は非常にあっさりと書かれていますが、「旅人」植村直己としての物語も、読んでみたい気がしてきます。

 

再びフランスで働きながら、一度は苦杯をなめたモン・ブラン登頂を果たした彼は、すぐにアフリカへ向かいます。

その旅で、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ、第2位の高さを誇るケニヤ山に登頂します。

 

翌1967年の末には、職を辞してアコンカグアに登るために南アメリカへ。
一人で登るなんてロコ(バカ)だと言われながら、軍と警察の許可を取り付け、わずか十五時間の超強行軍で山頂を往復してみせます。

 

ようやく日本帰国かと思いきや……ボリビアを経てペルーのリマ、さらに丸2日間長距離バスに揺られてプカルパ。船で6日6晩ウカヤリ川を下ってイキトス(テレ朝「陸海空 こんな時間に 地球征服するなんて」ナスD企画でもお馴染み!?)に至ります。

なんとここから、アマゾン川をカヌーで下るという驚くべき計画に挑むのです!

イキトスから飛行機で上流のユリマグアスに向かい、現地に住む人々に計画を止められますが、イカダを作り上げて出発します。

そして途中、いくつもの困難に見舞われながら、60日間かけて河口のマカパに至るのです。

 

続けて、北アメリカ最高峰へも挑む決断をします。

しかし、再びカルフォルニアの農場で一か月働いたのちアラスカへ向かったものの、4人以下の登山は禁止するという規則により入山許可をえることができませんでした。

 

日本人初のエベレスト登頂、そしてマッキンリーへ

4年5カ月ぶりに日本へ帰国した彼は、日本社会の目まぐるしさに戸惑います。

再び旅に出るために仕事に励む植村でしたが、半年後に日本山岳会からエベレスト遠征隊への参加を求められます。

始めはサポート要員だったものの、最終的には第1次アタック隊に選出され、日本人として初めてエベレスト登頂(松浦輝夫とともに果たします。

ついに世界最高峰に登頂した植村は、再びアラスカへ向かいます。

またもや単独登山は禁止されたものの、書類上はアメリカ隊の一員という扱いで登山が認められます。

そして、猛烈な雪と格闘しながら単独でのマッキンリー登頂に成功します。

 

こうして、植村は世界初の世界五大陸最高峰登頂者となったのです。

 

植村直己の魅力

世界初の五大陸最高峰制覇を成し遂げた植村が、その後どうしたかというと、次の瞬間には新たな目標を夢想するのです。

そして、マッキンリーの頂に立つと、夢はさらにふくらんできた。実現はさらに夢を呼び、私は登頂した感激よりも、南極大陸単独横断の夢が強く高鳴り、自分の本当の人生はこれからはじまるのだと、出発点にたった感じであった。

 

その後、エベレスト南壁からの登頂を目指す国際登山隊へ選出された植村は、同じくメンバーに選ばれた小西政継らとともに総勢6人でグランド・ジョラス北壁に挑みます。

登頂には成功したものの、メンバーのうち4人が凍傷にかかるという苛烈な山行でした。

そこでの岩壁の垂直登攀という経験を経て、植村は下記のようなことを考えます。

いくら私が冒険が好きだからといっても、経験と技術もなくて、また生還の可能性もない冒険に挑むことは、それは冒険でも、勇敢でもないのだ。無謀というべきものなのだ。  それがどんなに素晴らしい挑戦であったにしても、生命を犠牲にしては意味がない。こんどのグランド・ジョラスへの挑戦は、大きな代償を払わねばならなかったが、しかし、私にとってはその中から貴重な教訓を学びえた。

 

私からみると、正直彼の挑戦は無謀なことばかりなように感じてしまうのですが……

よくよく考えてみると、これ以降も不可能と思われた挑戦に成功し続けることができたということは、そのためのリスクヘッジがしっかりとできていたということなのでしょう。

ただ、誰もいないことをやってやろうと思うのではなく、まず生還しようと考えることができるは、冒険家として大事な資質かもしれません。

 

本書のなかで描かれる6年間で植村は、8000m峰に1つ、7000m峰に1つ、6000m峰に3つ、5000m峰に3つ、4000m峰に5つへの登頂を果たしています。

時間の流れが少しわかりにくいので調べてみたら、彼が五大陸最高峰制覇を果たしたのは、なんと29歳の時でした。

スポンサーがついて山登りだけ生業としていたのではなく、世界各地をまわり、自分で金を稼ぎ、節約性格を送りながらです。

30歳を前にして、こんなに密度の濃い人生を送った人がいたなんて……衝撃でした。

 

五大陸の最高峰を踏んだ植村は、下記のように書いています。

しかし、いままでやってきたすべてを土台にして、さらに新しいことをやってみたいのだ。若い世代は二度とやってこない。現在(一九七一年)、私は二十九歳、思考と行動が一致して動くのはここ一、二年だろう。経験は技術である。いまが私にとって、いちばん 脂 がのり、自分で何かができる時期である。

 

数々の挑戦だけではなく、語学の習得だったり、フランス国立登山学校への入学を目指したり……
本書をとおして印象的なのは、常に目的をもって、それに向かって突き進む植村の姿勢です。

一つの目標を達成したら、次に挑む。

そのバイタリティーの一部でも、見習いたいと思ってしまいました。

 

本書を読んでいると彼の魅力が、その業績だけでなく、現地の人々とのふれあいにもにじみ出てきます。

当時はたぶん、現在よりももっと世界が広く、様々な困難があった時代だったのだと思いますが、植村は決して現地の人々を馬鹿にすることも見下したりすることもなく、スッと馴染んでいるように感じられます。

 

そんな姿勢に、人々に愛された彼の姿が見えてきます。

 

これから、他の著書を読み進めていくのが楽しみです。